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hanairo~ハナイロ

湘南 大船 セラピーサロンhanairoのブログです

扉はいつも開いていた

毎朝、大体同じ時間に

電車で娘を保育園に送ります

いつも並ぶホームの場所に

ダウン症の青年がいます

10代後半くらいかな

 

彼もまた、

大体同じ時間に、同じ車両に乗ります

 

一年以上、

ちょくちょく顔を合わせていましたが、

今まで話すことはありませんでした

 

目が合って、ニコっとすることはあった

 

でも正直、

何を話していいかは分からなかった

 

彼はいつも、1人で何かを話している

電車好きらしく

駅のアナウンスを真似したり

駅員さんに「おはよう」って挨拶したり

あと、月に一回「おかあさんといっしょ」の

雑誌をうれしそうに読んでる日がある

 

三歳の娘は興味シンシンで

雑誌をのぞいたり

彼の独り言を聞いていたり

彼がいない日は

「おもしろいおにいさん、いないね」

って探したり

 

で、今朝、三人席に腰を掛けたら

彼が私の隣に、少しためらってから座ってきた

 

しばらく窓の外を見ながら

何か話していたけど

途中で歌い出し、ギターの弾き真似を始めた

 

そして、一息つくと

私の方を見て、ニヤリと笑ってきた

「ギター弾けるの?」

って聞いたら、

「きっと弾けるさ」

って笑ってまたエアギターを弾いてみせた

 

うれしくなった

娘も席の上で踊り出した

 

駅に着いた

「おりるね」って言うと

「うん、バイバイ」って手を振って

娘には

「はい、バイタッチ」ってタッチしてくれて

 

なんだかね、変な表現ですが、

私が小さい子供で

大人に遊んでもらって

送り出してもらった

そんな心地になった

 

電車を降りると娘が

「カカ、おもしろいおにいさんと

   おはなしできたね」

ってうれしそうに手を握ってきた

 

「おにいさん、すき?」

って聞くと

「うん!」と頷いて走り出した

 

そのとき、なぜか涙が止まらなくなりました

 

心を閉ざしていたのは私なんだ

彼も、娘も、この世界も

私の胸のドアが開くのを

ただじっと待ってくれていたんだ

 

開けてごらんよ

こわくないよ

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そう言われている気がしました

 

涙の効用

みなさん、泣いてますか?

のっけからけったいな質問ですが

私は最近泣いてませんでした

 

情緒不安定気味な人間なので

泣いてないのは安定傾向なのか?

と思ってましたが

そのわりには、

どうにもモヤモヤは溜まっていた

 

なんだかね、肚と頭が分離しているというか

うまく開通してない感じでした

 

そんなときは

日常業務はうまくこなせるんだけど

なんだかスッキリしないというか

表現したり創作したいという気持ちは

まったく湧いてこない

 

悶々でした

 

で、ためしにセルフセラピーカードを引いて見ると

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罠のカードが「 無意味感」

ギフトのカードは「ビジョン」

 

セルフセラピーカードでは、

様々な引き方があるのですが、この場合

 

「ビジョン」というギフトがすでに与えられているのに

 

「無意味感」という罠が、受け取ることを阻止している

 

と読めます

 

そうなのです

まさに、私が感じていたモヤモヤは

無意味感でした

 

何事にも意味を見いだせなくて

サラサラと砂のように時が過ぎていく感覚

 

そして求めているのはビジョン

 

このカードの指すビジョンとは

自分の観念や思い込みを外した時に見えてくる

本来の自分の姿、在り方、進む道

 

自分のモヤモヤの輪郭が少し掴めて

スッキリしてきました

 

さらに解説を読んで見ると

この「無意味感」は

実は吉兆でもあるようでした

 

真実の理解、目覚めの前に

人は往々にして無意味感に捉われるようです

 

この世の全てには本来、何の意味もない

だからこそ、観念から自由になって

好きなこと、楽しいことをしろ!

と多くの人が説いていますが

 

意味から自由になる過程で

エゴが介入すると、

意味のあることを追い求めては、失望する

を、繰り返し虚無感に捉われるようです

 

じゃあ、エゴをとっぱらうにはどうしたらよいか?

 

それが私の場合は涙だったのです

 

前回ブログに書いた通り

ふとしたキッカケから久々に大泣きしたら

 

肚と頭を結んだ真ん中、

ちょうど胸のあたりにあった

蓋みたいなものが決壊して

涙と一緒にいろんなものが開通しました

 

自分の肚の声、魂の声

頭の声、理屈、理論、現実性

 

2つが交流し

混じり合い、折り合って

心と体が一致していくのが分かりました

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するとギターが弾きたくなった

歌が歌いたくなった

また本を読みたくなった

文章を書きたくなった

 

心身が息を吹き返した気がしました

 

でも、夜中だったので

ギターを弾くわけにも行かず

頭が興奮して文章もまとまらず、

とりあえず、

大好きな星野源さんの新刊を読みながら

これまた源さん出演回の「徹子の部屋」を見てみたら

 

「長生きの秘訣は?」

という源さんの質問に

黒柳徹子さん曰く

 

「好きなことやることでしょーね!」

 

 

好きなことって大したことじゃなくていい

仕事でなくてもいい

 

歌ったり、踊ったり、書いたり、作ったり

眠ったり、見つめたり、解読したり

 

そんな無意味な

くだらないことのなかに

 生きてることの醍醐味が

つまってるんじゃないかと思います

どのフィルターをかけて見る?

今日は体調不良で寝てます

昨夜ベッドで号泣したまま寝たら

夜中にひどい頭痛に見舞われ

起きれなくなったのです

 

なにゆえ号泣したかと言うと

息子がipod欲しい、

と言ったのがキッカケでした

 

そういえば、使わなくなったipodshuffle

(通話できないだけでほぼiPhone的なやつ)

があったなぁと探し出し電源を入れると

過去に撮った動画が保存されていました

 

まだ0歳の息子の可愛い姿

亡くなった祖父の元気な様子

 

どちらも私が、育児&介護で精神錯乱状態だった時代のものでした

 

正直、息子の可愛かった姿も

祖父の元気な様子も

ほとんど記憶にない

ただ無我夢中、一心不乱

楽しんだ、という感覚が全くなく

「これでいいんだろうか」

「なんてダメな母親、介護者なんだろう」

という自責の念しか思い出せないのです

 

でも、そこに映っていた2人は

どちらも幸せそうでした

 

そして、撮影している私の声もとても穏やかで

幸せそうでした

 

なんなんだ、これは?

私の記憶違いなのか?

 

一緒に見ていた息子の手前平静を装いましたが

実際は混乱しました

 

あのとき、私は幸せだったの?

祖父も、息子も、幸せだったの?

 

そう思った瞬間、今度は別の心の声がします

 

そんなわけない!

私のせいで彼らは不幸だった

私はダメな母親、介護者だった

 

だから、寝るとき息子に聞いて見たのです

 

「昔、お母さんはダメなお母さんだったよね?

もっと可愛がってあげたかったのに、

うまくできなくて悔しかった」

 

 

すると息子が、私の言葉に食い気味で

 

「そんなことない!

   そのまんまで、いいおかあさん!

   まえからずっと幸せだよ」

 

と言って、私の頭をぎゅーっと抱いたのです

 

その瞬間、後悔一色だった過去の風景が

色彩を取り戻し、

同じ光景なのに、

まったく違った色合いに塗り替えられました

 

あぁ、過去も現在も未来も

何度でも塗り替えられるんだな

画像加工アプリのフィルター機能みたいに

 

どのフィルターを使うかは自分次第だし

何度でも変更できる

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一瞬で

 

好きだよねぇ

やれ旧正月だ、春分だ、新月だ、満月だ


過去の自分を手放して
上昇の流れに乗るだのと
世の中は節目感ビンビンのなか
うまく乗り切れず、取り残される
と焦っていた
今も焦ってる
もも春分すぎたしね
ジタバタしても仕方ないのだ

変容する私
上昇する私
すべて幻想
いいもわるいもない
ものさしをあてた瞬間すべては陳腐化する

今日たまたま読み返したあーすじぷしーのブログ
「バシャールの言葉に意味はなかった
全ては自分が今作る
過去もすべては
今を作るための材料
そして、今は想いだけでできている」

そうなのだ、となかばやけ気味に
でも真実だと確信している自分がいる


更年期突入疑惑のまま
今回は正しい周期で生理に入り
一番きらいな自分が
娘に向かって出た
ドロドロ度合いはかなり薄れていたが
まだあったか、と自分で呆れる自分

私なんていらない、の念

でも、ぶつけても
受け取らない娘
強いなぁ
理不尽なものは受け取らない
存在さえ認めない
それでいいのだよな
女王のように生きる
見せてくれてるのだよな
娘は私
私の姿なのだよな

本能のまま
むき出しに
間抜けに
下衆に
ニヤニヤしつつ
でも気高く
自分の王国の女王として
凛として生きる

孤独
もちろん怖い
つるめない自分
なじめない自分
居場所のない自分
淋しいよう、と心が騒ぐ

でも、じゃあそうしたいの?
と聞くと
小さなでもハッキリした声で
NOと聞こえる

それは私じゃない
私じゃなくなる

協調性、思いやり
大切だろう
でもすべては後付け
まず私
そこが整わず何が思いやりだ

怖くても吐きそうでも寂しくても
そうしかできないんだ
腹をくくるんだ
これが私なんだ

もう腹決めたら?

ホピ物語

お友達のミホさんのお宅で開催された

ホピ物語朗読会に参加しました

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ホピ、みなさんご存知でしょうか?

私はほとんどなにも知らなかった

でもなぜか気になって

何も知らないまんま参加しました

 

でも参加して本当によかった

と感じています

 

伝統的インディアンの長老

ダン ガチョンバが語る一族の物語の口述筆記

「生命の始まりから浄化の日まで」

三時間に渡る朗読を
休憩なしで行ってくれたのは
わかこさん

わかこさんを通して
ダン長老が語ってくれている
そんな不思議な空間でした

 

聴いてる間、魂の奥底が震えて
理屈や感情を超えた涙が止まらなかった

 

そしてそのメッセージはどれも

ホピのものであって

ホピだけのものではなかった

 

私の物語

私達みんなの物語

 

ダン長老は言うのです

 

私は太陽

私はあなたたちの父

私があなたたちを守っているのだ

 

と。

 

一歩間違えれば狂人の言葉

でも、ダン長老のその言葉からは

愛と誠意しか伝わってこないのです

 

アメリカの大地の片隅で、

でもそこはある意味世界の中心で

1人の老人は、

でも彼は私達みんなの父親

この世界を守り続けてきた

 

それはホピ一族に生まれたからでも

特殊な能力を持っているからでもなく

私にもできること

あなたにもできること

 

根っこ、中心、

彼らの言うところのグレイトスピリットと

しっかりつながり

今、目の前のやるべきことに集中すれば

 

人の作った複雑で雑多で

すぐ変わってしまうルールやシステムに

振り回されることなく、

唯一の法を中心に据えて生きていれば

 

ヨガや瞑想でも言われる

中心を定める感覚

 

古くからの知恵は

文化を超えてすべて

同じ1つのことを言っているんですね

きっと

 

と、

スケールの大きい話になってしまいましたが、

実は、小学校に入った息子と接する中で

いわゆる学校や日本的なルールと

自分の中の違和感みたいなものを

感じることがありまして

 

でも、自分の中の軸がブレブレなので

何がどう違うのかもわからずモヤモヤする日々でした

 

そんなとき、

自分の中心としっかりつながれば

頭や理屈をこねくりまわす必要はないんだよ

ダン長老からアドバイスをもらった気もしたのです^_^

 

まだまだ知らないこと

素敵なことがこの世界には溢れている

日々の当たり前を愛おしみ

喜びを噛み締めて生きていく

そう感じた1日でした

 

 

ミホさんのブログ

http://s.ameblo.jp/yunamiorihonoka/entry-12247464401.html

 

わかこさんのブログ

 http://s.ameblo.jp/wako0505/entry-12245113287.html

 

心屋卒業式

本日、心屋仁之助さんの独演会in武道館

に行ってきました

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BEトレ会員(セミナーDVDの定期購読会員)になって2年

沢山の気付きをもらい

沢山助けてもらったぢんさん

 

これからもブログや本は見ると思いますが

一旦卒業のタイミングかなぁと思い

BEトレを昨年末で退会しました

 

今回の武道館ライブは、

そんなぢんさんへのお礼参りと

卒業式の意味を込めて参加させてもらいました

 

で、ライブは、、、

 

 

めっちゃ楽しかった♪

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相変わらず怪しい集会感満載で

新曲も名作揃い

(カウンセラーの新曲ってなんだ?!笑)

ナントカレンジャーってやつがサイコーだった

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武道館であろうとどこであろうと

ぢんさんが見せてくれているのは

そのままの自分で立つということ

 

何か特殊な芸を見せるわけではなくて

生き様そのものを見せてくれているということ

 

そこに立っていてくれることに

とにかく「ありがとう」しかありませんでした

 

「僕に会った人は必ず幸せになれるなる

そう決めたから

あとは、絶対大丈夫と信じて

見守るだけ」

 

それが全てだよなぁ

 

私も

親として

嫁として

人として

そういうスタンスで

生きていく

 

信じて見守れるように

それだけのエネルギーを持っていられるように

自分をご機嫌にしておくだけ

 

あとのことは

ほとんどどうでもいい

 

ポジティブもネガティヴも

ぜーんぶやって味わって

生きていくだけ

 

死ぬとき自分の人生に

超絶OKが出せてたら

それだけでオッケー👌

 

だよなぁ、と噛み締めたライブでした

 

ぢんさん、本当にありがとうございました

 

 これからも、カッコ悪くてカッコいい

そのまんまのぢんさんで

みんなの前に居続けてください

しあわせって

しあわせって

嬉しいこと、

と同義なんだと

なんとなく思ってました

 

嬉しいことが起こること

続くこと

 

ラッキー=ハッピー

 

でも、最近

もしかすると

しあわせって

 

このままで充分

何もいらない

 

そういう状態のことなのかも

と思います

 

 

 

先日、胸にしこりを発見し

乳癌の検査を受けました

 

結果は異常なし

 

念のため、

くらいの、軽い気持ちで受けたので

結果を見ても「やっぱりね」

で終わるだろうと思っていたのに

 

予想外にも

病院からの帰り道

涙が止まらなくなり

なんならマスクの下で

一人こっそり嗚咽をもらしながら

 

夫の顔

子供の顔

友達の顔

自分の家や

住んでいる町

通っていた場所

 

それらと過ごせた時間

すべてに感謝が湧いてきて

 

ああ、私はもう既に全部持っていて

完璧なんだなぁ、

幸せなんだなぁ、

と、感じたのです

 

知らない家の庭先に咲いてる花を

見れたことにも感謝しました

 

なんか脈絡ないけど

すべてが当たり前だけど当たり前じゃなくて

すごいことって感じがしました

 

 

病気の辛さも、健康のありがたさも

家族のいる喜びも、上手くいかない辛さも

仲間がいる嬉しさも、孤独や寂しさも

お金のある安心も、お金のない不安も

子供のいる幸せも、子供を喪う悲しみも

 

ぜんぶひっくるめて

完全なる豊かさに包まれている

 

子供と笑い合うことも、本気でムカつくことも

バカ騒ぎも、自己嫌悪も

暑いも、寒いも

一人時間満喫も、暇すぎて死にそうなことも

 

ぜんぶぜんぶ

 

豊かさ

みっちみち

 

私は受け取り味わうだけ

なんだな

それだけでいいんだな

と思いました

 

在るものは、そのまますべて在ればよし

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そんなことを、お友達のブログを読んでいて

感じたのでした

葉っぱ隊、なつかしすぎる

http://leaf-eccence.hateblo.jp/entry/2016/12/18/153217

 

 

そして、そんなことを考えながら

子供を寝かしつけていたら

三歳の娘がなぜか

菩薩のような微笑みを浮かべながら

ずっと私の頭を抱いてナデナデしてくれていました

 

本人、半分白目剥きながらでしたが

何度見ても菩薩スマイルはキープされていて

なんだか

「やっとそこが、わかったのね」

と言われているような気分でした