hanairo~ハナイロ

湘南 大船 セラピーサロンhanairoのブログです

京都①

連休最終日、

夫と子供たちに見送られて

朝6時に出発

 

寝ぼけてたムスメ、
最初は、いってらっしゃ〜い
って二度寝しそうだったのに
急に起きて泣きながら門までついてきた

息子は泣くの我慢してるし

夫は私のためにお弁当用意してくれてるし

たった一泊二日なのに
なんだか遠くにでも旅立つ気分

 

泣いてるムスメを見て一瞬、
母が出ていった時の私もこうだったろうか?
と思う

でも、振り返って手を振りながら
いやいや違う、と思う

 

母が帰ってこないことに
私は最初気づかなかっただろう
まだ一歳だ
今日の私みたいに
すぐ帰って来るんだろう
と希望を持っては次の朝を迎える
そして、帰ってこないと落胆し
を繰り返し、少しずつ事実を
自分に染み込ませていったのだろう

それはそれはつらい作業だったろう
忘れるしかなかったろう
えらかったね、私、と労う

 

それと同時に
そんな辛かったことも含めて
過去が塗り変わったと感じる

一度は真っ黒だと思い込み
自分で真っ黒に塗り直した過去

 

でも少しずつ少しずつ
思い出した子供の頃をつなぎ合わせると
そこには再び豊かな色彩が浮かび上がる

 

おかっぱ頭で
やたら正義感が強く
強い意志をもって近所を駆け回る

明るい色ばかりではない
暗い色もある
でも、本当に美しい幸せなグラデーション

 

そりぁもちろん
悲しいことも辛いこともあったけど


愛されていたなぁ
守られていたなぁ


しみじみそう思う

 

無理に感謝に変えようとしていた時期もある
悟ったぶりっ子したこともある
それはすべてを白に塗りかえようとする行為だった

でも今はそれともちょっと違う
不思議な感覚だ

腹の底からふざけるなと思ったこと
悲しくて身がよじれそうだったこと
それも含めて
私の魂はいつも躍動してたなぁ
生きてたなぁ
それでオッケーだなぁ

そう思う

いつの私も大きな愛に包まれてる,。、
今の私が過去の私を大きく包み込んでいるように
今の私も未来の私に愛されて守られている

だって時間は未来から流れてくるんだから

だから安心して
悶えよう

 

と、ここまでが、

京都に向かう新幹線で書いた内容

 

このあと、怒涛の一泊二日が始まり

私の心もめまぐるしく変化していくのですが、

長くなったので次へ

 

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親への気持ち

やっぱりここへ戻ってくるんだなぁ

 

色々やって紐解いて

自分のなかの生きづらさを

かなりクリアしたつもりでいたのに

スッキリした気がしてたのに

急にまた昔みたいなモヤモヤにはまって

なんだか寂しくて不安で息苦しくて

 

ワンセルフの新年会で知り合った

心屋リセットカウンセラーのまめちゃんに

スカイプセッションをしてもらった

 

自分的には今いちばんひっかかっている

家とか、夫婦のこととか、お金について

相談するつもりだったのに

開始5分、背景を説明してるところで

両親のことに触れたら

「そこでしょ」

と言われてフリーズ

 

結局そこなの?!

という想いと

でも図星だな、って苦笑が

同時にこみ上げる

 

育ててくれた祖父母に対する気持ちが

だいぶクリアになってたから

それで人生の課題クリア!

って勝手に決め込んでたけど

んなわけなかった

 

だって、両親、どこにいるかも分からないし

(これも嘘、頑張って調べれば分かるはず)

母なんて記憶もないうちに消えたんだから

いなかったも同じ

そこに問題なんてないはず

って思いたくて、思い込んでたけど

 

やっぱりラスボスはそこにいた

 

ちゃんとクリアしろー!

とそこに自分でセットしてた

 

 は〜嫌だなぁ

でも向き合うしかないか〜

と呟いたら、まめちゃんから

 

「だーかーらー、

そうやって頑張んなくて大丈夫

閉じてた蓋が開いたんだから

また閉じないようにしておくだけでいいよ」

と言われ

 

毎日

 

「お父さん大好き、お母さん大好き」

 

って呟いて心がチクっとしたらOK

というセルフチェックの宿題をもらった

 

以前ならこんなこと呟いても

何も疼かなかった

 

「何も感じませんけど

   へっちゃらですけど?」

 

っていう大丈夫なフリ仮面(強固なやつ)

 

でも、セッション後つぶやくと

あら不思議、ほんとにチクっとくる

 

毎日呟いてたら

ふと父への気持ちが溢れてきた

 

会いたいなぁ

元気かなぁ

孫の顔見せたいなぁ

 

どんどんどんどん溢れてくる

 

そして行きついたのは

とてもシンプルな気持ちだった

 

「お父さん、私のこと好き?」って聞きたい

そして

一度でいいから抱きしめてほしい

 

恥ずかしいなぁ〜

伝えるの怖いなぁ〜

 

でもこれだけなんだなぁ〜

 

ほんと、恐ろしいものが隠れてる気がして

何重にも鍵をかけて閉じ込めてる気持ちって

結局こんな

やわらかくて、弱々しくて

でも、ピュアでかわいい気持ちなんだなぁ

 

とりあえず、まだ生きていた父のアドレスに

元気ですか?

と送ってみた

 

 

 

母については

まだ心のロックが頑丈で

あんまり開いてこないけど

ゆっくりいこ〜

 

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あの私がねぇ、、、ここまで来るとは

ここ最近の心の変化メモ

 

七夕に

レイナさんのスカイプセッションを受けた

穏やかで落ち着いた心境ではあるものの

何か物足りない

パッションが、、、

って贅沢な悩み

 

「はなちゃんの望む姿はなんだろうね?」

の問いに目を瞑ると

湧いてきたのは光だった

私もあなたもない、

これもあれもない

ただただ光の洪水

自分の内も外も光しかないという感覚

本来の私という感覚

それを伝えると

「あのはなちゃんから、

そんな言葉が聞ける日がくるとはねぇ」

と言われて 笑

私自身もしみじみ

とうとうここまで来たか、と思った

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静かだが、とても意味のある

自分の現在地を再確認するセッションだった

 

 

数日後、とあるカウンセリングスクールの

実演&説明会へ

問題の短期解決をうたった手法だ

二カ月くらいまえに、

セラピスト活動の強力なツールになってくれれば

という想いで申し込んだもの 

今思うと焦りがあったなぁ

 

実演は素晴らしく、

場数と引き出しの豊富さに脱帽

人の心がドラマチックに解けていく様は

感動的でもあった

でも、講座に申し込む気にはならなかった

 

「人を救いたい」

という気持ちがすっかり皆無になってしまったようだ

 

問題を解決したい、という意図もほとんどない

 

悩みも問題も

それが必然であれば

ただただ在れば良いし

昇華すべきときがくれば

昇華されるだろう

という感覚しかない

 

みんな大丈夫なんだ

 

以前どこかで読んだ

「救いたい、は、救われたい自分の投影」

という言葉

メサイアコンプレックス

 

当初はトゲのように刺さったが

今は、そのものとして自然に入ってくる

 

ずっと、悩んでいる人を助けたかった

それは自分もまた悩みの渦中にあり

助けられたかったからだ

 

もちろん今も

必要とあれば、お役に立ちたいとは思う

けど、そこにあるのはもっと

純粋な意図だけだ

望まれたからやる

私も知りたいから解く

 

ぢんさんの言葉

助けたいという意図は

助けるべき人を生む

 

これもまた今、めちゃくちゃしっくり来る

意図が現象を生むのだ

 

同じ生むなら

楽しい現象がいい

 

 

あの私がねぇ、、、

悩みと劣等感まみれで

常に自分の存在価値を探していた私がねぇ

 

こんな心境に到達するとは

 

それもこれも、

人生のスポ根、

ある程度やり尽くしたからなんだろうな

やりたいだけやるってのは

本当に大事なんだと思う

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小林麻央さんのニュースについて思うこと

海老蔵の妻、という認識だったまおさんを

その人自身として認識したのは

ブログを開設された時だった

(からさわぎ時代は、正直興味なかった)

 

梨園の妻、好き勝手な発信は許されない立場であろう彼女が

病気、というキッカケを通して

世の中に自分を表した

 

今回改めてじっくり読んでみて

すごいなぁ、と感服した

 

たぶん、まおさんは、

病気が発覚してからどこかのタイミングで

自分の人生と恋におちたのだと思う

 

たとえそれが、

どんなタイミングで

どんなエンディングを迎えようとも

最後の最後まで愛し抜き、生き抜く

そう決めたんだろう、と

勝手に想像している

 

恋のチカラはすごいのだ

 

拗ねたり、言い訳したりしてるヒマはない

 

愛しいその対象を

ただ愛し、大切にするだけで

本当に充実していたのだと思う

 

本当はみんなもそうなのだ

 

ただ、沢山の猶予があるように見えたり

愛する人やモノや時間に

なにか余計なものが付属しているような

錯覚のなかで

覚悟を決める怖さを

先送りしているだけなのだ

 

私も自分と、大切な人を含む

このしょーもなく、ちっぽけで、愛しい人生を

全力で愛し抜きたい

 

まおさんと海老蔵さんは

沢山の人を目覚めさせた

 

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次は私たちの番

 

 

 

 

 

 

 

 

祝 独立宣言

もう誰の看板の下でもない

私、として

私の人生を送っていいのだなぁ

 

すべての選択を自分の意思で行う自由を

自分に許していいんだなぁ

 

そんなことを考えながら

引っ越しについて話していたら

ある人に

 

「精神的な独立ですね」

 

と言われました

 

そっかー!なるほどー!

と稲妻に打たれた気分でした

 

私は、遅まきながら

独立をしようとしているんだ!

 

その時の私の脳内では

アメリカ国家が流れ

星条旗がスルスルと天に昇りましたw

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なんて、清々しいんだろう

 

自分で自分を縛っていたとはいえ

本来人はみんな

こんなにまでも自由なのですね

 

どう生きたいのか

すべて自分の意思で選んでいける

 

ある分野で世界一になった人が

小さい頃から母親に

 

「あなたはなんだってできるし

    なんにだってなれる」

 

と言われて育ってきた、

という話を読みましたが

 

それは、単なる勇気付けではなくて

そのお母さんが心の底から

そう思っているからこそ

かけられた言葉なのだな、

と思いました

 

そう、私たちはみな

なんだってできるし

なんにだってなれる

自分を縛れるのは自分だけ

 

 

親切

居場所がない、の続きです

(ちなみにこれ、「免許がない」のパクリのつもりなんですが、分かった人いるかな?)

 

子供が隣町の保育園に通いだしたことをキッカケに

初めての感じた地元的愛着

広がって行く人間関係

 

こりゃ、隣町に引っ越すしかないでしょ

 

当然の流れのようで

なかなか思いつきませんでした

 

理由は2つありました

 

ひとつには、父親の存在

なかなかの破天荒な彼 

 

戸籍的には、一歳の時に縁の切れた父ですが

私が6歳になる頃

新しい奥さんを連れて突然戻ってきました

住むところがなかったのか

しばらく実家に身を寄せて

二世帯みたいな感じで一緒に暮らしました

 

変な感じでした

実の父親が私以外の家族と

上の階に間借りしている 笑

 

父親だけど、お父さんと呼ぶことは許されない

新しい奥さんは、私を目の敵

嫉妬ですね

子供の私には理解できませんでしたが

 

しばらくすると子供も生まれて

(私から見ると異母兄弟ですね)

小学校に上がるタイミングで

引っ越していきました

 

でも、なぜかすぐ

近くに戻ってくるのです

なんだかんだで、大体は

徒歩五分くらいの場所に住んでいました

 

祖父母のことも気になったし

たぶん、私にも

負い目を感じていたのだと思います

 

そんな彼も

子供達が独立し、

奥さんも亡くなり

一人暮らしになりました

 

ある時期から時々

孫(うちの子供)の顔を見に来るように

なりました

 

初めての親子っぽい時間でした

 

でも、ある日を境に突然来なくなりました

 

正式な孫が生まれたのです

戸籍上の初孫

つまり私の異母弟の子供ですね

 

そのとき私は、寂しさと同時に

どこかでホッとしていました

 

私、無意識に

親孝行しなきゃ、

孫の顔でも見せて

孤独を癒してあげねば、

などと思っていたみたいなのです

 

自分でもビックリでした

どごまでお人好しなのだ、と 笑

 

 そこではじめて、

あ、もう、ここにいなくてもいいのだな、

と湧いてきたのです

 

そして、物件を探し始めました

 

でもなんだか気持ちがアガらない

 

なんだろう、、、

 

そんなふうにモヤモヤと過ごしていたら

包丁で親指をザックリ切ってしまいました

 

辛うじて薄皮一枚で

肉片はつながっているけど

人生はじめての深さの傷と出血量

 

夕飯時なので応急処置で様子を見ましたが

なんで、このタイミングでこんな怪我?

と引っかかりました

 

怪我はなかなか治らず

痛みは引かず

家事もできない

趣味のギターも弾けない

 

 親指に心臓が引っ越してきたかのように

ドクドクし

出かける気にもなれません

 

引きこもりがちな日々を過ごしながら

ちょうどよいので

内観しました

 

なんで、スッキリ引っ越せないの?と

 

そしたらね〜、出てきたんですよ

 

「だって、おじいちゃん、おばあちゃんが

    寂しがるもん」

 

って声が

 

辛い出来事の多かった祖父母の人生

私に希望を託されているのを

ひしひしと感じて育ちました

 

この人たちを幸せにしなきゃ

笑顔にしなきゃ

と頑張ってきました

 

結婚してからも

遠くにいってほしくない

と訴える祖父母のために

徒歩五分圏内の物件ばかりに住んできました

 

新婚当初は

私がいなくなって

祖父母が寂しく不安なのでは?

と夜中に泣きながら目を覚ますことも多々ありました

 

今思うと尋常じゃない必死さで

彼らを守ろうとしてたんですね

 

その残骸がまだ残ってたみたいです

亡くなったあとまでも

 

なんだ、そんなことで

引っ越しに踏み切れなかったのか

 

分かればスッキリ

 

よく頑張ったよ、私

おじいちゃん、おばあちゃんを

守りたかったよね、笑顔にしたかったよね

でも、もう十分やったよ

これからは自分のために生きていい

 

自分の住みたい場所

そばにいたい人達と

自分の世界を作っていっていいんだ

 

自分なりの地元

自分なりの生活

 

 

今までこの街に愛着を抱かなかったのは

祖父母のために住んでいる

(少しは父親のためにも)

祖父母の人生の延長を生きている

ような気がしていたからなんだなぁ

 

もうそこから自由になっていいんだなぁ

 

だから、"親指"ザックリ事件も起きたのかもなぁ

 

なんてことを思ったのでした

 

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居場所がない

今日の記事はいつもに増して

ひとりごとなので

おヒマな方以外はスルーしてください^_^

 

 

 

引越しを考えています

 

生まれてから41年間、同じ街に住んできました

新婚で家を出た時も

残してきた祖父母のことが心配で

実家から徒歩五分のマンションに住みました

 

祖父母が高齢化し

介護が本格化

夫と再び実家に戻り

そこで二人の子供を生みました

 

三年前、祖父母が亡くなり

その家を引き継ぎました

 

大きくて立派な家

生まれ育った場所

緑豊かな庭もあります

駅から近く

なんでもあって便利な場所です

特に不満はありません

 

でも、私は

この街にいて常に

 

居場所がない

 

と感じていました

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幼稚園から通学はずーっと

地元ではなく

離れた私立だったため

地元友達ゼロ

(人見知りな性格も一因でしたが)

 

地元の友達と遊ぶ、とか

友達とすれ違うとか一切なくて

憧れでした

 

知り合いといえば

祖父の友人や患者さんだったひとたち

祖父はちょっとした地元の名士でしたから

その人たちから見た私は常に、

「〇〇さんのとこのお嬢(孫)さん」

 

常に祖父母の看板の下に生きている感じでした

 絵に描いたような箱入り娘ですね

 

そんなこんなで41年

 

子供を産んで初めて変化がありました

 

子供を通じて人間関係が一気に広がりました

 

隣の街で 笑

 

 

不思議なご縁で隣町の保育園に通うことになり

そこで沢山の大切な友達ができました

たくさんの好きな場所もできました

この町の人や空気は合うなぁ

そんな風に感じるようになりました

 

これが、地元、って感覚でしょうか

はじめての感覚でした

 

 ではなぜ、私は自分の住む街に

居場所を感じられなかったか?

地元感を感じられなかったか?

 

長いので次回に