hanairo~ハナイロ

湘南 大船 セラピーサロンhanairoのブログです

分かる

ここのところ

分かる、とはどういうことか

考えています

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ふと浮かんでくるのは

再々登場、村上春樹さんの

「ねじまき鳥のクロニクル」

の中のこんなセリフ

 

「言わなきゃ分からないということは、

    言っても分からないということ」

 

主人公岡田トオルさんが

唯一信頼している叔父さんの言葉です

 

この叔父さんは、

親戚に一人はいる、

普通ではないオトナ、

型にハマっていないオトナで、

腕一本で、数軒のバー経営を成功させている人です

 

借り物の価値観に縛られず

自分の腕と頭で掴んだ真実をもとに

生きている人

 

主人公を現実と結ぶパイプとなっています

 

叔父さんのこの言葉に

岡田さんは衝撃を受けます

 

言わなきゃ分からない=分かっていない

 

私も初めて読んだ時は

ピンと来ませんでした

 

しかし、時を経て

何度か読み重ねるうちに

こういうことか、

と分かるようになってきました

 

(この体験自体も「分かる」を体感するプロセスでした)

 

 

以前、子育てセミナーに通っていたことがあります。

そこで驚いたのは

講師の先生が、次々と

人のココロの仕組みの真実を

教えてくれるところ

 

いわゆる「正解」をポンと教えてくれるのです

 

今まで、学校や社会では

「正解」は自分で導き出してこそ

価値がある。

掴み取るものだ、と教えられてきたように思います。

「正解」を導き出せるものが勝者なのだ、と。

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しかし、そのセミナーでは

みんなが何十年とかかって

たどりつくような「正解」を

初回でポンと言ってしまう

 

そんなことしていいのー?!

と思いました。

 

でも、何回か通ううちに

冒頭の、ねじまき鳥の言葉を思い出し

納得したのでした。

 

言われて

「へー、そーなんだー」

と思うのは

何も分かってないのと一緒

 

頭で答えを「知った」だけの状態なんですね

(それが悪いわけじゃないです。素直に「そうなんだー」と受け入れ過ごしてみることも大事)

 

しかし

本当に、実感として肚落ちしていることは

「〇〇だよね」

と言われた途端に

 

「そうそう!だよね〜」

 

となるわけです

 

自分が体感したことにしか

その反応は出てこない

 

だから、正解を初回で披露したところで

分からない人には分からない

 

「分かる」ための、

しかるべき出来事に出会うタイミングを

待つのみなのです

 

(そのとき、「答え」という道しるべを知っていることは、多少のショートカットにはなるかも知れません)

 

そして、「分かる」ということについて

もう1つ思い出すのは

ある友人が私にくれた言葉でした

 

私は自分について知ってもらう際に、

幼少期に親と別れたいきさつを

話すことがあります

 

その話をした時の反応は

相手によって様々なのですが

大体は、

「自分には体験がないから分からないけど

    大変だったね、がんばったね」

というものです

 

どんな反応でも

分かろう、としてくれることが

ありがたいのですが、

 

その友人は

自分が一回、

親と離れなければならないかも

という、状況になったときのことを思い出し

(結果、そうならずに済んだそうですが)

 

「あれだけでも辛かったのだから

   本当に離れたら、相当キツかっただろうね」

 

と、自分の体験に寄せて話してくれたのでした。

 

この、

「自分の体験=ものさし」

に寄せて味わう

 

を瞬時にできる人は

理解力が高いなぁ、と思います

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誰も同じ体験なんてしたことないのだから

完璧に相手を理解するのは難しいですが

どんな些細なことでもいいから

共通するような体験・感覚を引っ張り出して

想像してみること

 

そして、その自分なりの「ものさし」を

相手にも見せて

「こんな感じ?」

とすり合わせをすることが

お互いの理解を深めることにも

繋がるなぁ、と思います。

 

実際に私は、

その友人の体験、という

新たな「ものさし」を見せてもらったおかげで

「なるほど、私の経験は

    結構ハードだったのかもなぁ」

と改めて、客観視することができたのでした。

 

 

以上が、私の思う

「分かる」についてでした。

悟りの話でも

サイキックな内容でもなくてごめんなさい^ ^

 

どうしても理屈っぽく

言語化したい欲求が強くて

こんなことを日々考えています

 

そして、まだまだ分からないことだらけ

 

同じように「感じる」についても

思うことがありますが

こちらはなかなか言語化できない

する必要もないのかも

また気が向いたら書きます

 

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